G.F. ヘンデル 作曲オラトリオ<メサイア > HWV.56

教会音楽 シリーズ Vo.5 第 30 回国民文化祭・かごしま2015 チェスト行け! 提案事業

【【説明】作品・作曲の背景

ドイツ・ハレに生れ、ハンブルグ、更にイタリアへと学んだG.F. ヘンデル(1685~1759)。習作時代を終えた彼は、当時音楽市場 として栄えていたロンドンに、オペラ作曲家・劇場経営者とし て活動の場を求めました。オペラの成功・劇場経営の破綻など 波乱の30 年、更に脳卒中の発作。1741 年1月、<デイダミア> を最後に彼はロンドンのオペラ界から撤退。力尽きての引退に 世間は”ヘンデルは2度と立ち上がれない”と噂し報じました。 しかし西に沈んだ太陽は再び<メサイア>を掲げて東の空に昇 ったのです。以前から強力な応援者であり、ヘンデル音楽の不 滅を確信していた C.ジェネンズが、聖書の句に基づく台本を綴 り、同年 8 月<メサイア>(救世主)として献呈。台詞に感動 したヘンデルは、時に涙しながら、召使いの運ぶ食事にも手を 付けず作曲に没頭し、全Ⅲ部259 頁を僅か24日で作曲。末尾に は’9月14 日完成’と誇らしげな満足の文字が躍っています。

<メサイア> テキスト内容

第Ⅰ部:イエス誕生の予言・降誕
第Ⅱ部:イエスの受難・ 再臨
第Ⅲ部:イエスの復活・永久の生命
「キリストの降誕・受難・復活」即ち聖書4福音書の内容です。 しかしジェネンズは一福音書を扱うのではなく旧約・新約聖書 全体からほんの一部の詞を抽出しつつ、聖書への深い洞察理解 による福音を投げかけたのです。聖書への造詣がとりわけ深か ったヘンデルにとって最高のテキストだったと言えましょう。 管弦楽:鹿児島国際大学管弦楽団

初演・再演
折しも<メサイア>作曲と前後して、アイルランド総督から慈 善演奏会の依頼を受けていたヘンデル。近隣国で初演、その評 判がロンドンへ届くことを目論み、11 月<メサイア>他数曲を 携えダブリン到着。先ず他の宗教楽曲で評価を得、翌年第 2 シ ーズン 1742 年 4 月 13 日<メサイア>初演。新聞も「その喜び を言葉に出来ない・・・気高く荘厳で心優しく・・・」と感動 を伝え、更に 6 月再演。再起してロンドン音楽界復帰の機を狙 っていたヘンデルですが、次作オラトリオ<サムソン>(ジェ ネンズ台詞)等を演奏し続け、ようやくロンドン初演(’43 年3 月23 日)の運びとなります。しかしタイトルは<新し い宗教的オラトリオ>、<メサイア>の曲名は遣いませんでし た。劇場で宗教楽曲を演奏する事への非難の中、第Ⅱ部最終曲 ‘ハレルヤ’が始まると、隣席されていた国王ジョージ 2 世が 立ち上がられ、聴衆はそれに続いた・・・というエピソード のみが伝統となり、今日迄受け継がれています。ダブリンでは その後も再演されましたが、ロンドン再演は’45 年4月9日・11 日。これ又<宗教的オラトリオ>のタイトルでした。その後 5年を経て’49 年3月3日、漸く<メサイア>のタイトル。翌’50 年 5 月から Foundling Hospital(捨子養育院)での年中行事と して今日の定版<捨子養育院メサイア>が演奏されるようにな ったのです。ダブリン初演から<メサイア>が市民権を得るの に要した年月10 年、<世界のメサイア>へのスタートでした。